再来一杯
私がパーティーが好きなのは「これでおしまいよ、お代わりはだめですよ」と言われないことである。 わが家での晩酌では必ず、このせふりが出てくる。おちょうしは三本、ワインなら女房と二人でフルボトル一本、これがリミットである。
パーティではこのリミットがない。
コンパニオン嬢は、私の手にしているグラスがカラッポであるのを見ると、いくらでもお代わりを持ってきてくれるのだ。 こんな素晴らしいことがあろうか。
しかし、カッコつけて言うわけではないけれど、パーティーの楽しみの、もっと大きい物は、旧友、知友に会えることだ。
私のようなフリーランスの著述業者は、仲間と気軽に飲むことができない。
サラリーマンのように組織の中でくらしていると、働く時もいっしょなら、休む時もいっしょだから、飲みに行くのも一緒にいける。 フリーランサーはそれができない。各人が個別のスケジュールで動いているから、こちらの仕事が一段落ついたからといって、仲間を誘うわけには行かない。 みんな、やたらに忙しいのである。
だから、パーティーは仲間と久しぶりに顔を合わせ、歓談するいい機会なのだ。 胃を切って入院していたとか聞いていた先輩が、意外に元気な顔色で、グラスを手に立っているのを見つけたりするとほっとする。 愛人に逃げられたと言う噂の男が会場の隅のほうでしょんぼりしているのを見て、肩をたたいて励ましてやることもある。
「向こうが勝手に逃げ出したのだから、手切れ金だって払わなくてすんだんだろ。女房に露見しないで一件落着したわけじゃないか。むしろラッキーだったと思うべきじゃないか。これからは奥さん一筋で、お励みなさいよ。な、元気を出して」変な励まして方ではあるが、もてない小生としては、内心言い気味だと思っているころがあるから、どうしてもこんなふうになってしまうのだ。ちょっとけちな話を書く。
パーティーで「ご招待」をされることがある。誰々さんが再起する、お祝いと激励の会、なんてのがあって、案内状が届く。 発起人の中には何人も親しい人がいて出席しないわけには行かない。それはいいのだが、会費が一万五千円のところが消してあって「ご招待」というはんこがおしてある。
これがまずいんだよな。「ご招待」だからといって手ぶらではいけない。「お祝い」の袋を持参しなければならないが、これには一万五千円なんて半端な金額は入れられない。二万円という数字も日本では縁起が悪くて祝いことには不適、ということになっている。
ウームとうなって、三万円を包みながら私は内心、「ご招待」は高くつくんだよなぁ、とつぶやくのである。
中译文:
我这个人特喜欢聚餐会。因为聚餐会上没有人对我说:“这可是最后一杯了,不能再喝了。” 在我家晚餐小酌时,每每听到这样的“台词”。我和我妻用酒壶酌的话,可喝三小壶:葡萄酒的话,两人喝一瓶。这是限度。
聚餐会上没有这些规矩。
当招待员小姐望见你手中的酒杯空空如也时,总要为你斟上新酒,从来不去干涉你已喝了几杯。 不去聚餐会哪儿会有这种好事?
不过,我并不是在说些冠冕堂皇的话,酒宴的愉悦更值得一提的是:知己故友的喜相逢。 像我这样著书立说的自由撰稿人,不能轻而易举地与同仁们相聚开怀畅饮。
我们不像公司职员,生活在集体之中,工作时在一块儿,休息时也在一块儿,喝酒就能相约同去。
自由撰稿人却不能够。各人忙各人的事儿,都有自己的计划安排,虽说你自己的工作告一段落,却也不能邀同仁们相聚。
大家都在忙自己的事,忙得不可开交。
所以,聚餐会上是与同仁们久别重逢、畅谈而不苟言笑的好时机。
当你看到一位你早有耳闻因为胃切除住院的前辈,满面红光地手持一高脚酒杯站在那儿时,你会为之怃然。
有时,当你瞥见一位风闻被情人一走了之的某男沮丧地躲在会场上时,你会上前拍拍他的肩,说上几句宽心的话。
“是人家随随便便一走了知的,这样你也不必花那笔赡养费不就了了吗?事情有没有败落得叫你老婆知道,这就妥啦,难道你不该想想这是一大幸运吗?从今以后,你和你老
婆两个人就一心一意地过日子,好好干!打起精神来!”
虽说,宽慰的话有些个不三不四的,尽管不包养情妇的鄙人内心也未尝不想:活该!但无论如何也得这样做。
写了些鄙俗的事。
在聚餐会中不乏招待(请客)之举。某某人东山再起啦,开个祝贺会,激励会什么的;有个什么什么的啦,就送来个请帖。
发起人中有几位亲近知己,所以不好不去。 那倒也没有什么。只是招待券上在印有会费一万五千日元处用笔勾去代而言之以“招待券”的印戳。
这可就难办啦。
因为是承蒙招待,所以不得空手前去。必须带上一个“祝贺”的信袋什么的,这里面不能装入一万五千这样半拉咯叽的钱数,两万元这个数字在日本不吉利不易送人表示祝贺。 我沉吟一下,包了三万日元装入信封内,可却在内心打起了小鼓:这招待会也未免太让人破费了。
日本の昔話---八人の真ん中
むかしむかし、彦一(ひこいち→詳細)と言う、とてもかしこい子どもがいました。
ある日、お城から彦一のところへ、こんな知らせが届きました。
《若さまの誕生祝いをするから、お城へ参れ、庄屋(しょうや→詳細)とほかに村の者を六人、あわせて八人。きっかり八人で来るように》
「お城から、およびがかかるとは、ありがたいこっちゃ」
庄屋さんは、誰とだれを連れていこうか、六人をえらびだすのに苦労(くろう)しています。
しかし彦一は、その手紙を見ながら考えました。
「この、八人きっかりと、念を押しているところがあやしいな。あの殿さまのことだ、また、なにかたくらんでいるにちがいないぞ」
さて、今日はお城にいく日です。
いわれた通り、彦一と庄屋さん、それに選ばれた六人の村人の、きっかり八人がそろいました。
庄屋さんと彦一以外の六人の村人たちは、生れてはじめてお城の中に入るので、少しきんちょうしています。
「おら、ごちそうの食べ方が、わからねえだ」
「おらもだ。どうするべ」
すると彦一が、
「なあに、庄屋さんのまねすりゃいいだよ」
その言葉に安心した六人は、
「それもそうだな。わはははははっ」
そうこう言っているあいだに、八人はお城に着きました。
大広間では、すでに若さまのお誕生日を祝う会が始まっています。
正面の高いところに、殿さま、奥さま、若さま、そしてまわりに大勢の家来達や、お付きの人達がいます。
「若さまのお誕生日、おめでとうございます」と、庄屋さんがあいさつをしました。
八人とも大広間のすみで、小さくなっていました。
「おう、参ったか、彦一め。うむ、きっかり八人できたな、わははは」
殿さまの笑い声からすると、やはり、なにかをたくらんでいる様子です。
「こっちへ参れ。くるしゅうないぞ。若もその方が喜ぶ。さあ、遠慮するな」
舞 姫
森鴎外
石炭をば 早( は )や積み果てつ。中等室の 卓( つくゑ )のほとりはいと静にて、 熾熱燈 ( しねつとう ) の光の晴れがましきも 徒 ( いたづら ) なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る 骨牌 ( カルタ ) 仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余 一人 ( ひとり ) のみなれば。
五年前 ( いつとせまへ ) の事なりしが、 平生 ( ひごろ ) の望足りて、洋行の官命を 蒙 ( かうむ ) り、このセイゴンの港まで 来 ( こ ) し頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして 新 ( あらた ) ならぬはなく、筆に任せて書き 記 ( しる ) しつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、 今日 ( けふ ) になりておもへば、 穉 ( をさな ) き思想、身の 程 ( ほど ) 知らぬ放言、さらぬも 尋常 ( よのつね ) の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしとき、 日記 ( にき ) ものせむとて買ひし 冊子 ( さつし ) もまだ白紙のまゝなるは、 独逸 ( ドイツ ) にて物学びせし 間 ( ま ) に、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。
げに 東 ( ひんがし ) に 還 ( かへ ) る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそ 猶 ( なほ ) 心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写して 誰 ( たれ ) にか見せむ。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。
嗚呼 ( あゝ )、ブリンヂイシイの港を 出 ( い ) でゝより、早や 二十日( はつか ) あまりを経ぬ。世の常ならば 生面 ( せいめん ) の客にさへ 交 ( まじはり ) を結びて、旅の憂さを慰めあふが航海の 習 ( ならひ )なるに、 微恙 ( びや
う ) にことよせて 房 ( へや ) の 裡 ( うち )にのみ 籠 ( こも ) りて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨に 頭 ( かしら ) のみ悩ましたればなり。 此 ( この ) 恨は初め一抹の雲の如く 我 ( わが ) 心を 掠 ( かす ) めて、 瑞西 ( スヰス ) の山色をも見せず、 伊太利 ( イタリア ) の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を 厭 ( いと ) ひ、身をはかなみて、 腸 ( はらわた ) 日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の 翳 ( かげ ) とのみなりたれど、 文 ( ふみ ) 読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、 幾度 ( いくたび ) となく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を 銷 ( せう ) せむ。 若 ( も ) し 外 ( ほか ) の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は 心地 ( こゝち ) すが/\しくもなりなむ。これのみは余りに深く我心に 彫 ( ゑ ) りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、 房奴 ( ばうど ) の来て電気線の鍵を 捩 ( ひね ) るには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。
余は幼き 比 ( ころ ) より厳しき庭の 訓 ( をしへ ) を受けし 甲斐 ( かひ ) に、父をば早く 喪 ( うしな ) ひつれど、学問の 荒 ( すさ ) み衰ふることなく、旧藩の学館にありし日も、東京に出でゝ 予備黌 ( よびくわう ) に通ひしときも、大学法学部に入りし後も、太田 豊太郎 ( とよたらう ) といふ名はいつも一級の 首 ( はじめ ) にしるされたりしに、 一人子 ( ひとりご ) の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたなき名誉なりと人にも言はれ、 某 ( なにがし ) 省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、官長の覚え 殊 ( こと ) なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を 踰 ( こ ) えし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、 遙々 ( はる/″\ ) と家を離れてベルリンの都に来ぬ。
余は 模糊 ( もこ ) たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、 忽 ( たちま ) ちこの 欧羅巴 ( ヨオロツパ ) の新大都の中央に立てり。 何等 ( なんら ) の光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹下と訳するときは、幽静なる 境 ( さかひ ) なるべく思はるれど、この大道 髪 ( かみ ) の如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く 隊々 ( くみ/″\ ) の士女を見よ。胸張り肩 聳 ( そび ) えたる士官の、まだ 維廉 ( ヰルヘルム ) 一世の街に臨める ( まど ) に 倚 ( よ ) り玉ふ頃なりければ、様々の色に飾り成したる礼装をなしたる、 妍 ( かほよ ) き 少女 ( をとめ ) の 巴里 ( パリー ) まねびの 粧 ( よそほひ ) したる、彼も此も目を驚かさぬはなきに、車道の 土瀝青 ( チヤン ) の上を音もせで走るいろ/\の馬車、雲に聳ゆる楼閣の少しとぎれたる 処 ( ところ ) には、晴れたる空に夕立の音を聞かせて 漲 ( みなぎ ) り落つる 噴井 ( ふきゐ ) の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさし 交 ( か ) はしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この 許多 ( あまた ) の景物 目睫 ( もくせふ ) の間に 聚 ( あつ ) まりたれば、始めてこゝに 来 ( こ ) しものゝ応接に 遑 ( いとま ) なきも 宜 ( うべ ) なり。されど我胸には 縦 ( たと ) ひいかなる境に遊びても、あだなる美観に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を 遮 ( さへぎ ) り留めたりき。
余が 鈴索 ( すゞなは ) を引き鳴らして 謁 ( えつ ) を通じ、おほやけの紹介状を出だして東来の意を告げし 普魯西 ( プロシヤ ) の官員は、皆快く余を迎へ、公使館よりの手つゞきだに事なく済みたらましかば、何事にもあれ、教へもし伝へもせむと約しき。喜ばしきは、わが 故里 ( ふるさと ) にて、独逸、 仏蘭西 ( フランス ) の語を学びしことなり。彼等は始めて余を見しとき、いづくにていつの間にかくは学び得つると問はぬことなかりき。
さて官事の 暇 ( いとま ) あるごとに、かねておほやけの許をば得たりければ、ところの大学に入りて政治学を修めむと、名を 簿冊 ( ぼさつ ) に記させつ。
ひと月ふた月と過す程に、おほやけの打合せも済みて、取調も次第に 捗 ( はかど ) り行けば、急ぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば写し留めて、つひには 幾巻 ( いくまき ) をかなしけむ。大学のかたにては、穉き心に思ひ計りしが如く、政治家になるべき特科のあるべうもあらず、此か彼かと心迷ひながらも、二三の法家の 講筵 ( かうえん ) に 列 ( つらな ) ることにおもひ定めて、謝金を収め、往きて聴きつ。
かくて 三年 ( みとせ ) ばかりは夢の如くにたちしが、時来れば包みても包みがたきは人の好尚なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなど 褒 ( ほ ) むるが嬉しさに怠らず学びし時より、官長の善き働き手を得たりと 奨 ( はげ ) ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなく 妥 ( おだやか ) ならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも 宜 ( よろ ) しからず、また善く法典を 諳 ( そらん ) じて獄を断ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。
余は 私 ( ひそか ) に思ふやう、我母は余を 活 ( い ) きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。今までは 瑣々 ( さゝ ) たる問題にも、極めて 丁寧 ( ていねい ) にいらへしつる余が、この頃より官長に寄する書には 連 ( しき ) りに法制の細目に 拘 ( かゝづら ) ふべきにあらぬを論じて、一たび法の精神をだに
得たらんには、紛々たる万事は破竹の如くなるべしなどゝ広言しつ。又大学にては法科の講筵を 余所 ( よそ ) にして、歴史文学に心を寄せ、漸く 蔗 ( しよ ) を 嚼 ( か ) む境に入りぬ。
官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。独立の思想を 懐 ( いだ ) きて、人なみならぬ 面 ( おも ) もちしたる男をいかでか喜ぶべき。危きは余が当時の地位なりけり。されどこれのみにては、なほ我地位を 覆 ( くつが ) へすに足らざりけんを、 日比 ( ひごろ ) 伯林 ( ベルリン ) の留学生の 中 ( うち ) にて、或る勢力ある 一群 ( ひとむれ ) と余との間に、面白からぬ関係ありて、彼人々は余を 猜疑 ( さいぎ ) し、又 遂 ( つひ ) に余を 讒誣 ( ざんぶ ) するに至りぬ。されどこれとても其故なくてやは。
彼人々は余が 倶 ( とも ) に 麦酒 ( ビイル ) の杯をも挙げず、球突きの 棒 ( キユウ ) をも取らぬを、かたくななる心と慾を制する力とに帰して、 且 ( かつ ) は 嘲 ( あざけ ) り且は 嫉 ( ねた ) みたりけん。されどこは余を知らねばなり。嗚呼、此故よしは、我身だに知らざりしを、 怎 ( いか ) でか人に知らるべき。わが心はかの 合歓 ( ねむ ) といふ木の葉に似て、物 触 ( さや ) れば縮みて避けんとす。我心は処女に似たり。余が幼き頃より長者の教を守りて、 学 ( まなび ) の道をたどりしも、 仕 ( つかへ ) の道をあゆみしも、皆な勇気ありて 能 ( よ ) くしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、 唯 ( た ) だ 一条 ( ひとすぢ ) にたどりしのみ。余所に心の乱れざりしは、外物を棄てゝ顧みぬ程の勇気ありしにあらず、 唯 ( たゞ ) 外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ。故郷を立ちいづる前にも、我が有為の人物なることを疑はず、又我心の能く耐へんことをも深く信じたりき。嗚呼、彼も一時。舟の横浜を離るるまでは、 天晴 ( あつぱれ ) 豪傑と思ひし身も、せきあへぬ涙に 手巾 ( し
ゆきん ) を濡らしつるを我れ 乍 ( なが ) ら怪しと思ひしが、これぞなか/\に我本性なりける。此心は生れながらにやありけん、又早く父を失ひて母の手に育てられしによりてや生じけん。
彼 ( かの ) 人々の嘲るはさることなり。されど嫉むはおろかならずや。この弱くふびんなる心を。
赤く白く 面 ( おもて ) を塗りて、 赫然 ( かくぜん ) たる色の衣を 纏 ( まと ) ひ、 珈琲店 ( カツフエエ ) に坐して客を 延 ( ひ ) く 女 ( をみな ) を見ては、往きてこれに就かん勇気なく、高き帽を戴き、眼鏡に鼻を挾ませて、 普魯西 ( プロシヤ ) にては貴族めきたる鼻音にて物言ふ「レエベマン」を見ては、往きてこれと遊ばん勇気なし。此等の勇気なければ、彼活溌なる同郷の人々と交らんやうもなし。この交際の 疎 ( うと ) きがために、彼人々は唯余を嘲り、余を嫉むのみならで、又余を猜疑することゝなりぬ。これぞ余が 冤罪 ( えんざい ) を身に負ひて、暫時の間に無量の 艱難 ( かんなん ) を 閲 ( けみ ) し尽す 媒 ( なかだち ) なりける。
隣の住人
新藤 兼人
歳月がながれて三十数年ぶりだった。
新聞社の取材に応じて、京都下鴨宮崎町、鴨川のほとりを訪れた。
新聞社の夕刊には、青春の地を訪ねる連載があった。私にもその注文が来たのであ
る。
四条大橋の西側たもとで待ち合わせることにした。私は東京から、新聞社の人は大阪からである。小雨が降っていた。約束の十時前に新聞社の車がきた。
その界隈の町並はほとんど変っていない。銭湯も郵便局も小学校もそのままだ。変っているのは松竹下加茂撮影所が、某会社の倉庫になっていることだ。その小路は、撮影所のすぐ近くにあった。
通りで車を下りて、小路へはいっていくと二軒長屋がある。この一軒に私は、昭和十七年春から十八年の秋まで住んだ。
二階建ての長屋だったが、これ以上小さくは作れないだろうと思えた。階下が二畳と四畳半、二回が三畳と六畳、京都式の玄関から裏へ通し土間があって、二坪ほどの植木のない庭があった。
むかしのままだった。時のながれが急に消えた。玄関の格子戸も二階の窓も少しも変っていない。ただ、二軒がそのまま右へこころもちかしいでいた。
私が住んでいたのは向かって左である。玄関格子戸に手をかけたが開かない、見れば鍵がかかっている。隣の家の格子をあけて声をかけた。主婦が奥の四畳半から玄関の二畳へ現れた。私の家と同じ間取りなのである。
「隣にいた新藤ですが」
ああ、といったきり、主婦はその場に立ちすくんだ。
丸顔で小柄な人だった。化粧をしないのに白い顔だった。それがそのままである。変ったのは私であろう、白髪なのだ。
「お久しゅうございます」
「ほんまにもう、お懐かしゅうございますな」
「あの時はお世話になりました」
「なんやらもう、夢を見てるようどすな」
主婦の目には涙が光った。
東京から京都へ移ったのは昭和十七年四月である。尊敬していた溝口健二監督に師事するためだった。所属していた東京の映画会社をやめて、見知らぬ京都へ移るのは勇気のいることだった。私一人ではとてもふみきれなかったであろう、妻がすすめてくれたのである。私は二十九歳、妻は二十五歳、結婚して二年目だった。
私は売れないシナリオを書いているシナリオライターだった。自分の才能を信じた時期があった。間もなく壁にぶっつかる。才能を疑う季節がやってきた。周囲がみな厚い壁になる。脱出しなければ....たった一本いいシナリオを書ければそれで事は片づくのだが、それが出来ない。京都へ移ったのは脱出の試みだった。
世帯道具は何もなかった、東京へ置いてきたのではない、はじめからそれらしき物を持たなかったのである。私たちは貧しかった。古机と蒲団があるだけだ、狭い長屋ががらんとしていた。
下鴨の町も小路の中の人も、見知らぬ他人であった。隣の若い細君だけが親しい声をかけてくれた。ご主人は市役所へ勤めているということで、早い時間に出かけ、夜は遅かった。家計は決して豊かには見えなかったが細君の顔はいつも明るかった。主人を送り出すと掃除である。古びた表の格子に丹念な雑巾がけをした。夏冬つねに和服で、夏は洗いざらしの浴衣に糊を厚くつけて、ぴんと突っ張ったのを好んで着ていた。それはいかにも京女らしい風情だった。
私は、溝口健二監督に読んでもらうためのシナリオをいく本も書いたが、ついにものにはならなかった。外には毎日のように出征兵士を送る歌が聞こえ、また戦死の遺骨を迎える行列があった。私と妻は、その歌や、その沈黙を、家の中で身をひそめて、息を殺し聞いた。私たちは大きく流れる時の中で、ただ抱き合っているほかはなかった。
妻が、突然、血を吐いて倒れたのは一年たった初夏だった。結核にかかったら死を待つほかない時代である。痩せ細り、八月の朝死んだ。
たった一人、隣の若い細君が、妻の死顔のそばににじり寄って、小さな体をかがめて泣いてくれた。
中文翻译
邻居
时过境迁,事情过去已经三十多年了。为了报社的采访,我又再一次来到了京都下鸭的宫崎镇鸭川河畔。
报社的晚报上有再访青春之地的连载,也向我订了稿。
约好在四条大桥西边的桥下见面。我从东京来,报社的人则是从大阪来。天空中下着小雨。在约定的十点之前,报社的车来了。
那一带街道的排列基本没变。浴池、邮局、还有小学都跟从前一样。只有松竹下加茂电影厂,变成了某家公司的仓库而已。那条胡同就紧挨着电影厂。
从路边下了车,走进胡同就看见两座大杂院。在昭和17年(公元1942年)春天到18年秋天这段时间,我就是住在其中的一座里面的。
虽说是两层的大杂院,却让人觉得不可能盖得比这还小了。楼下的两个房间是2张和4张半塌塌米大小(一张塌塌米约合1.56平方米),二楼是3张和6张,穿过京都式的门廊向里面走,是片连两株盆栽都没有的院子。
跟以前一样。突然感觉不到时光的流转了。不论门廊的拉门还是2楼的窗户,一点都没变。只是,那两座房子在右边勾起我的回忆。
我住着的是正面靠左的那间。手拉了一下门廊的拉门却没拉开,仔细一看原来是锁着的。拉开了隔壁的门喊了一声。那家的女主人于是从里面4张半的房间来到了外面的2张。格局与我家的一样。 “我是曾经住在隔壁的新藤。”
女主人啊的叫了一声,就呆呆地站在了那里。
她脸圆圆的,小个子。虽然没有化过妆脸却是白的。还都是原来的样子。变了的只有我吧,已经满头白发了。
“好久不见了。”
“真是的呀,太怀念了。”
“那时候多承蒙您照顾啦。”
“您这是说的哪里话呀,真像做梦一样啊。”
女主人的眼里闪着眼泪。
从东京搬到京都是在昭和17年的4月。是为了师从当时所尊敬着的沟口健二导演。辞掉东京的电影公司的工作,搬到陌生的京都是件需要勇气的事情。想我一个人的话是万万做不到这种地步的,是妻子在一旁给我鼓励。当时我29岁,妻子25岁,是结婚后的第2年。
那时候我是个写着卖不出去的剧本的剧作家。正处于相信自己才能的时期。没过多久就碰壁了。终于到了怀疑才能的季节。四周仿佛都成了厚厚的墙壁。不逃出来的话……哪怕只写出一本好的剧本也好啊,可是却终究也没能写出来。搬到京都其实也只是逃出来的一种尝试。
什么家具也没有带,并不是留在东京了,而是从来就没有过。我们很穷。有的只是旧桌子和铺盖而已,狭小的房子里显得空荡荡的。
在下鸭,不论街道上还是胡同里,所见的都是些陌生人。只有邻家的媳妇对我们挺亲切。那家的男主人由于在市政府工作,每天早出晚归。家境看来一点也不富裕,但媳妇的表情却总是显得很乐观。每天送走男主人就一定会打扫房子。在外面的陈旧的拉门上细心
地挂上抹布。一年四季常穿着和服,夏天则吧洗好晒干的浴衣浆得厚厚的,穿起来硬整整的样子很是喜欢。那真是太有京都女子的味道了。
我写了好几部想让沟口健二导演看的剧本,却怎么也没写出部像样的。外面每天都能听见送走出征士兵的歌,有时也会有迎接阵亡战士遗体的队列。我与妻子两个人,躲在家里屏住呼吸听着那些歌和那些沉默。我们在那动荡的时代,只有紧紧抱在一起。
妻子突然吐血病倒,是有一年刚入夏的时候的事。那是个得了结核就只有等待死亡的年代。眼看妻子日渐消瘦,终于在八月的一个早晨死去了。
只有一个人,邻家的媳妇,跪在妻子的遗像前,哭着蜷缩成了一团。
働きマン
第1回
はたらく【働く】
仕事をし、生計を立てること。 (工作,就是通过自己的劳动来维持生计。)
Q:あなたにとって、働くとは?(对你来说,工作意味着什么?)
働く、という文字は、人が、動く、と書く。迷っても、迷っても、ともらずに、動く。 (日语中“工作”这个字的写法是人字旁加个动,即使迷茫也不要停歇,动起来吧。)
第2回 けっこん【結婚】
男女が経済面·精神面で互いに助け合いながら、一緒に暮らすこと。 (结婚,就是男女双方在经济和精神上互相支持共同生活。)
Q:あなたは仕事と結婚、どちらをえらびますか? (工作和结婚,你会选择哪一个?)結婚は、自分らしく生きるための、選択肢の一つだと思う。 (结婚就是为了活的象自己而作出的选择之一。)
第3回 しんじん【新人】新しく物事に取りくむ人。(新人,就是初次接触新事物的人。)
若い時は、がむしゃらでいい。叩かれて、踏まれて、雑草も強くなるもんだ。(年轻人就要无所顾忌地拼命。像杂草一样,在被鞭笞践踏的同时茁壮成长。)
第4回 あこがれ【憧れ】想いこがれること。(憧憬,就是向往的事情。)
Q:あなたは、憧れの人がいますか。(你有憧憬的对象吗?)
憧れは、時に、仕事の邪魔になる。でも、憧れは、心にたくさんの種をまいてくれる。 (憧憬,有时候会成为工作的阻碍。但是,憧憬也在心里播下了许多种子。)
第5回 ほこり【誇り】自信をもって胸をはれること。 (自豪,就是让自己挺起胸膛,充满自信。)Q:あなたなは、自分の仕事に誇りをもてますか??(你为你的工作而感到自豪吗?)
自分の仕事が誇れるかどうか、他人の物差しで測っても仕方ない。それは、自分自身が決めることだ。(自己的工作是否值得自豪,不是以他人的标准来衡量的,而是由自己
来决定的事情。)
第6回 こうかい【後悔】あとになって悔やむこと。 (后悔,就是事后懊悔。)
Q:あなたは、後悔のない日々を過ごしていますか? (你正过着没有遗憾的每一天吗?)
後悔するのは悪いことじゃない。でも、明日は後悔しないように、今日を生きていきたい。(后悔并不是件坏事,但为了让明天不再后悔,就要好好活出今天。)
第7回 わかれ【別れ】大切な人と、離れ離れになること。 (分别,就是与你钟爱的人天各一方。)? Q:あなたは、ずっとそばにいたいと想う人がいますか? (你想过与谁相伴一生吗?)
「出会った瞬間に別れは始まっている」と誰かが言っていた。 ならば、「別れた瞬間に新しい何かが始まる」と信じよう。 (不知是谁说过,相遇的瞬间是离别的开始。那么我相信,离别的瞬间又会是新际遇的开始。)
第8回?しつれん【失恋】好きな人にフラれること。 (失恋,就是被喜欢的人抛弃。)
Q:あなたは、どうやって失恋を乗り越えますか? (你会如何面对失恋?)
失恋は、痛くて、痛くてたまらない。でも、立ち止まっていたらダメだ。顔をあげて歩いていこう。 (失恋或许会让人心如刀绞,但是,不能因此而止步不前,昂首向前前进吧。)
第9回 おもいいれ【思い入れ】深く思いを寄せること。 (投入,就是忘情的做一件事情。)
Q:あなたは、思い入れを持って仕事をしていますか?(你有忘情的投入到工作中去吗?)
思い入れがなくても仕事はできる、でも、思い入れを持てたら、きっと仕事は楽しい。 (投入不是工作的必要条件,但你的忘情投入会换来工作的快乐。)
第10回 かぞく【家族】共に暮らし、支えあう人々。 (家人,就是一同生活,患难与共的人。)
Q:あなたにとって、家族とは何ですか?(对你来说,家人意味着什么?)
たとえ食卓を囲まなくても、遠く離れていても、家族はいつも心でつながっていると思う。(在我心里,所谓家人,即使不能一桌吃饭,即使相隔遥远,也割不断心中那份羁绊。)
第11回 ゆめ【夢】やりたいこと、なりたいもの。(梦想,即想做的事,想成为的人。)
Q:あなたは、夢に向かって歩いていますか? (你正朝着自己的梦想前进吗?)
働くって、大変だ。走って、泣いて、笑って……でも、夢を抱いてまっすぐ進んで行こう。それが、生きるってことだから。?(工作里饱含辛酸。有过奔跑、有过哭泣、有过微笑,但我们还是要怀揣着梦想,永不停歇脚步。因为,它是你活着的最好见证。)
寓話 猫の事務所
……ある小さな官衙に関する幻想……
軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。ここは主に、猫の歴史と地理をしらべるところでした。
書記はみな、短い黒の繻子の服を着て、それに大へんみんなに尊敬されましたから、何かの都合で書記をやめるものがあると、そこらの若い猫は、どれもどれも、みんなそのあとへ入りたがってばたばたしました。
けれども、この事務所の書記の数はいつもただ四人ときまっていましたから、その沢山の中で一番字がうまく詩の読めるものが、一人やっとえらばれるだけでした。
事務長は大きな黒猫で、少しもうろくしてはいましたが、眼などは中に銅線が幾重も張ってあるかのように、じつに立派にできていました。
さてその部下の
一番書記は白猫でした、
二番書記は虎猫でした、
三番書記は三毛猫でした、
四番書記は竈猫でした。
竈猫というのは、これは生れ付きではありません。生れ付きは何猫でもいいのですが、夜かまどの中にはいってねむる癖があるために、いつでもからだが煤できたなく、殊に鼻と耳にはまっくろにすみがついて、何だか狸のような猫のことを云うのです。
ですからかま猫はほかの猫には嫌われます。
けれどもこの事務所では、何せ事務長が黒猫なもんですから、このかま猫も、あたり前ならいくら勉強ができても、とても書記なんかになれない筈のを、四十人の中からえらびだされたのです。
大きな事務所のまん中に、事務長の黒猫が、まっ赤な羅紗をかけた卓を控えてどっかり腰かけ、その右側に一番の白猫と三番の三毛猫、左側に二番の虎猫と四番のかま猫が、めいめい小さなテーブルを前にして、きちんと椅子にかけていました。
ところで猫に、地理だの歴史だの何になるかと云いますと、
まあこんな風です。
事務所の扉をこつこつ叩くものがあります。
「はいれっ。」事務長の黒猫が、ポケットに手を入れてふんぞりかえってどなりました。
四人の書記は下を向いていそがしそうに帳面をしらべています。
ぜいたく猫がはいって来ました。
「何の用だ。」事務長が云います。
「わしは氷河鼠を食いにベーリング地方へ行きたいのだが、どこらがいちばんいいだろう。」
「うん、一番書記、氷河鼠の産地を云え。」
一番書記は、青い表紙の大きな帳面をひらいて答えました。
「ウステラゴメナ、ノバスカイヤ、フサ河流域であります。」
事務長はぜいたく猫に云いました。
「ウステラゴメナ、ノバ………何と云ったかな。」
「ノバスカイヤ。」一番書記とぜいたく猫がいっしょに云いました。
「そう、ノバスカイヤ、それから何!?」
「フサ川。」またぜいたく猫が一番書記といっしょに云ったので、事務長は少しきまり悪そうでした。
「そうそう、フサ川。まああそこらがいいだろうな。」
「で、旅行についての注意はどんなものだろう。」
「うん、二番書記、ベーリング地方旅行の注意を述べよ。」
「はっ。」二番書記はじぶんの帳面を繰りました。「夏猫は全然旅行に適せず」するとどういうわけか、この時みんながかま猫の方をじろっと見ました。
「冬猫もまた細心の注意を要す。函館附近、馬肉にて釣らるる危険あり。特に黒猫は充分に猫なることを表示しつつ旅行するに非れば、応々黒狐と誤認せられ、本気にて追跡さるることあり。」
「よし、いまの通りだ。貴殿は我輩のように黒猫ではないから、まあ大した心配はあるまい。函館で馬肉を警戒するぐらいのところだ。」
「そう、で、向うでの有力者はどんなものだろう。」
「三番書記、ベーリング地方有力者の名称を挙げよ。」
「はい、ええと、ベーリング地方と、はい、トバスキー、ゲンゾスキー、二名であります。」
「トバスキーとゲンゾスキーというのは、どういうようなやつらかな。」
「四番書記、トバスキーとゲンゾスキーについて大略を述べよ。」
「はい。」四番書記のかま猫は、もう大原簿のトバスキーとゲンゾスキーとのところに、みじかい手を一本ずつ入れて待っていました。そこで事務長もぜいたく猫も、大へん感服したらしいのでした。
ところがほかの三人の書記は、いかにも馬鹿にしたように横目で見て、ヘッとわらっていました。かま猫は一生けん命帳面を読みあげました。
「トバスキー酋長、徳望あり。眼光炳々たるも物を言うこと少しく遅し ゲンゾスキー財産家、物を言うこと少しく遅けれども眼光炳々たり。」
「いや、それでわかりました。ありがとう。」
ぜいたく猫は出て行きました。
こんな工合で、猫にはまあ便利なものでした。ところが今のおはなしからちょうど半年ばかりたったとき、とうとうこの第六事務所が廃止になってしまいました。というわけは、もうみなさんもお気づきでしょうが、四番書記のかま猫は、上の方の三人の書記からひどく憎まれていましたし、ことに三番書記の三毛猫は、このかま猫の仕事をじぶんがやって見たくてたまらなくなったのです。かま猫は、何とかみんなによく思われようといろいろ工夫をしましたが、どうもかえっていけませんでした。
たとえば、ある日となりの虎猫が、ひるのべんとうを、机の上に出してたべはじめようとしたときに、急にあくびに襲われました。
そこで虎猫は、みじかい両手をあらんかぎり高く延ばして、ずいぶん大きなあくびをやりました。これは猫仲間では、目上の人にも無礼なことでも何でもなく、人ならばまず鬚でもひねるぐらいのところですから、それはかまいませんけれども、いけないことは、足をふんばったために、テーブルが少し坂になって、べんとうばこがするするっと滑って、とうとうがたっと事務長の前の床に落ちてしまったのです。それはでこぼこ
ではありましたが、アルミニュームでできていましたから、大丈夫こわれませんでした。そこで虎猫は急いであくびを切り上げて、机の上から手をのばして、それを取ろうとしましたが、やっと手がかかるかかからないか位なので、べんとうばこは、あっちへ行ったりこっちへ寄ったり、なかなかうまくつかまりませんでした。
「君、だめだよ。とどかないよ。」と事務長の黒猫が、もしゃもしゃパンを喰べながら笑って云いました。その時四番書記のかま猫も、ちょうどべんとうの蓋を開いたところでしたが、それを見てすばやく立って、辨当を拾って虎猫に渡そうとしました。ところが虎猫は急にひどく怒り出して、折角かま猫の出した辨当も受け取らず、手をうしろに廻して、自暴にからだを振りながらどなりました。
「何だい。君は僕にこの辨当を喰べろというのかい。机から床の上へ落ちた弁当を君は僕に喰えというのかい。」
「いいえ、あなたが拾おうとなさるもんですから、拾ってあげただけでございます。」
「いつ僕が拾おうとしたんだ。うん。僕はただそれが事務長さんの前に落ちてあんまり失礼なもんだから、僕の机の下へ押し込もうと思ったんだ。」
「そうですか。私はまた、あんまり辨当があっちこっち動くもんですから…………」
「何だと失敬な。決闘を………」
「ジャラジャラジャラジャラン。」事務長が高くどなりました。これは決闘をしろと云ってしまわせない為に、わざと邪魔をしたのです。
「いや、喧嘩するのはよしたまえ。かま猫君も虎猫君に喰べさせようというんで拾ったんじゃなかろう。それから今朝云うのを忘れたが虎猫君は月給が十銭あがったよ。」
虎猫は、はじめは恐い顔をしてそれでも頭を下げて聴いていましたが、とうとう、よろこんで笑い出しました。
「どうもおさわがせいたしましてお申しわけございません。」それからとなりのかま猫をじろっと見て腰掛けました。
みなさんぼくはかま猫に同情します。
それから又五六日たって、丁度これに似たことが起ったのです。こんなことがたびたび起るわけは、一つは猫どもの無精なたちと、も一つは猫の前あし即ち手が、あんまり短いためです。今度は向うの三番書記の三毛猫が、朝仕事を始める前に、筆がポロポロころがって、とうとう床に落ちました。三毛猫はすぐ立てばいいのを、骨惜みして早速前に虎猫のやった通り、両手を机越しに延ばして、それを拾い上げようとしました。今度もやっぱり届きません。三毛猫は殊にせいが低かったので、だんだん乗り出して、とうとう足が腰掛けからはなれてしまいました。かま猫は拾ってやろうかやるまいか、この前のこともありますので、しばらくためらって眼をパチパチさせて居ましたが、とうとう見るに見兼ねて、立ちあがりました。
ところが丁度この時に、三毛猫はあんまり乗り出し過ぎてガタンとひっくり返ってひどく頭をついて机から落ちました。それが大分ひどい音でしたから、事務長の黒猫もびっくりして立ちあがって、うしろの棚から、気付けのアンモニア水の瓶を取りました。ところが三毛猫はすぐ起き上って、かんしゃくまぎれにいきなり、
「かま猫、きさまはよくも僕を押しのめしたな。」とどなりました。
今度はしかし、事務長がすぐ三毛猫をなだめました。
「いや、三毛君。それは君のまちがいだよ。
かま猫君は好意でちょっと立っただけだ。君にさわりも何もしない。しかしまあ、こんな小さなことは、なんでもありゃしないじゃないか。さあ、ええとサントンタンの転居届けと。ええ。」事務長はさっさと仕事にかかりました。そこで三毛猫も、仕方なく、仕事にかかりはじめましたがやっぱりたびたびこわい目をしてかま猫を見ていました。
こんな工合ですからかま猫は実につらいのでした。
かま猫はあたりまえの猫になろうと何べん窓の外にねて見ましたが、どうしても夜中に寒くてくしゃみが出てたまらないので、やっぱり仕方なく竈のなかに入るのでした。
なぜそんなに寒くなるかというのに皮がうすいためで、なぜ皮が薄いかというのに、それは土用に生れたからです。やっぱり僕が悪いんだ、仕方ないなあと、かま猫は考えて、なみだをまん円な眼一杯にためました。
けれども事務長さんがあんなに親切にして下さる、それにかま猫仲間のみんながあんなに僕の事務所に居るのを名誉に思ってよろこぶのだ、どんなにつらくてもぼくはやめないぞ、きっとこらえるぞと、かま猫は泣きながら、にぎりこぶしを握りました。
ところがその事務長も、あてにならなくなりました。それは猫なんていうものは、賢いようでばかなものです。ある時、かま猫は運わるく風邪を引いて、足のつけねを椀
のように腫らし、どうしても歩けませんでしたから、とうとう一日やすんでしまいました。かま猫のもがきようといったらありません。泣いて泣いて泣きました。納屋の小さな窓から射し込んで来る黄いろな光をながめながら、一日一杯眼をこすって泣いていました。
その間に事務所ではこういう風でした。
「はてな、今日はかま猫君がまだ来んね。遅いね。」と事務長が、仕事のたえ間に云いました。
「なあに、海岸へでも遊びに行ったんでしょう。」白猫が云いました。
「いいやどこかの宴会にでも呼ばれて行ったろう」虎猫が云いました。
「今日どこかに宴会があるか。」事務長はびっくりしてたずねました。猫の宴会に自分の呼ばれないものなどある筈はないと思ったのです。
「何でも北の方で開校式があるとか云いましたよ。」
「そうか。」黒猫はだまって考え込みました。
「どうしてどうしてかま猫は、」三毛猫が云い出しました。「この頃はあちこちへ呼ばれているよ。何でもこんどは、おれが事務長になるとか云ってるそうだ。だから馬鹿なやつらがこわがってあらんかぎりご機嫌をとるのだ。」
「本とうかい。それは。」黒猫がどなりました。
「本とうですとも。お調べになってごらんなさい。」三毛猫が口を尖せて云いました。
「けしからん。あいつはおれはよほど目をかけてやってあるのだ。よし。おれにも考えがある。」
そして事務所はしばらくしんとしました。
さて次の日です。
かま猫は、やっと足のはれが、ひいたので、よろこんで朝早く、ごうごう風の吹くなかを事務所へ来ました。するといつも来るとすぐ表紙を撫でて見るほど大切な自分の原簿が、自分の机の上からなくなって、向う隣り三つの机に分けてあります。
「ああ、昨日は忙がしかったんだな、」かま猫は、なぜか胸をどきどきさせながら、かすれた声で独りごとしました。
ガタッ。扉が開いて三毛猫がはいって来ました。
「お早うございます。」かま猫は立って挨拶しましたが、三毛猫はだまって腰かけて、あとはいかにも忙がしそうに帳面を繰っています。ガタン。ピシャン。虎猫がはいって来ました。
「お早うございます。」かま猫は立って挨拶しましたが、虎猫は見向きもしません。
「お早うございます。」三毛猫が云いました。
「お早う、どうもひどい風だね。」虎猫もすぐ帳面を繰りはじめました。
ガタッ、ピシャーン。白猫が入って来ました。
「お早うございます。」虎猫と三毛猫が一緒に挨拶しました。
「いや、お早う、ひどい風だね。」白猫も忙がしそうに仕事にかかりました。その時かま猫は力なく立ってだまっておじぎをしましたが、白猫はまるで知らないふりをしています。
ガタン、ピシャリ。
「ふう、ずいぶんひどい風だね。」事務長の黒猫が入って来ました。「お早うございます。」三人はすばやく立っておじぎをしました。かま猫もぼんやり立って、下を向いたままおじぎをしました。
「まるで暴風だね、ええ。」黒猫は、かま猫を見ないで斯う言いながら、もうすぐ仕事をはじめました。
「さあ、今日は昨日のつづきのアンモニアツクの兄弟を調べて回答しなければならん。二番書記、アンモニアツク兄弟の中で、南極へ行ったのは誰だ。」仕事がはじまりました。かま猫はだまってうつむいていました。原簿がないのです。それを何とか云いたくっても、もう声が出ませんでした。
「パン、ポラリスであります。」虎猫が答えました。
「よろしい、パン、ポラリスを詳述せよ。」と黒猫が云います。ああ、これはぼくの仕事だ、原簿、原簿、とかま猫はまるで泣くように思いました。
「パン、ポラリス、南極探険の帰途、ヤップ島沖にて死亡、遺骸は水葬せらる。」一番書記の白猫が、かま猫の原簿で読んでいます。かま猫はもうかなしくて、かなしくて頬のあたりが酸っぱくなり、そこらがきいんと鳴ったりするのをじっとこらえてうつむいて居りました。
事務所の中は、だんだん忙しく湯の様になって、仕事はずんずん進みました。みんな、ほんの時々、ちらっとこっちを見るだけで、ただ一ことも云いません。
そしておひるになりました。かま猫は、持って来た弁当も喰べず、じっと膝に手を置いてうつむいて居りました。
とうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。
それでもみんなはそんなこと、一向知らないというように面白そうに仕事をしていました。
その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向うにいかめしい獅子の金いろの頭が見えました。
獅子は不審そうに、しばらく中を見ていましたが、いきなり戸口を叩いてはいって来ました。猫どもの愕ろきようといったらありません。うろうろうろうろそこらをある
きまわるだけです。かま猫だけが泣くのをやめて、まっすぐに立ちました。
獅子が大きなしっかりした声で云いました。
「お前たちは何をしているか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしでない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる」
こうして事務所は廃止になりました。
ぼくは半分獅子に同感です。
讨债人与啄木鸟
すべてが現金で支払われた昔は、お金との別れを惜しむ余裕があった。汚いお札とは簡単に別れられたが、手の切れるようなパリパリノ新しいお札と分かれるときはちゃんとした儀式が必要だった。日にかざして、透かしを確認して、それから少しくしゃくしゃ揉んで、しわくちゃにしてから払った、というのはうそである。少し空想のしすぎである。昔だって、そこまではやらなかった。
払うのは代価なのだから惜しいと思うのはまちがいだと言った。それを訂正するつもりはない。だが、払いをするとき、悔しいと思うことがないわけではない。
僕の伊豆の別荘がキツツキに攻撃されている話は、確か、どこかでしたと思う。僕の家は、キツツキにスイスチーズのように穴だらけにされてしまった。もう本当にひどかった。穴を開けたままにしておくと、コウモリが入り込んだり、別のとりが巣を作ったりする。しかたがない、大工さんに穴を塞いでもらった。ペンキも塗り替えてもらっ
た。ちょうど十年はたったところだし、これくらいの修理はしかたないか、と諦めた。新しいペンキの匂いは、キツツキを遠ざけてくれるだろう。そう考え、支払いのときの胸の痛みを柔らげる準備をした。
さて、修理は終わり、足場は取り払われ、大工さんが代金を受け取りに現れた。僕はその日銀行から下ろしたばかりの、手の切れるようなパリパリノお札を、大工さんの目の前で、なるべく時間をかけてヒイフウミイと数えた。そのときであった。 [トントントン] 僕は思わず手を止めた。
「ありゃなんだ?」 質問するだけヤボであった。もちろんキツツキ。そのひまで姿を隠していたのはなぜだったのか。ペンキの匂いをキツツキが嫌うだろうと考えたのは甘かった。キツツキはもっともっとしつこいトリであった。
僕は思わず大工さんと顔を見合わせた。 「えへへへへ」 大工さんのそのときの複雑な笑顔を、なかなか表現できない。僕も笑った。大工さんにおけずとも劣らない複雑な表情だっただろう。借金トリはキツツキと同じトリの類であることを確認したのであった。
中译文:
从前,一切都用现金支付,付款时就有些难以割舍。脏兮兮的纸币倒是极容易出手,如果支付崭新的票子时,就需要一种“严肃”的“仪式”,即将它对着阳光,确认一下水印,然后再把它稍微揉邹,弄得皱巴巴以后再交款。也许没那回事,有些过于空想。即使是过去,也不至于如此。
我说过,付出的实际上是代价,因此心疼是不对的。我并不打算订正它,但是,付款时,也并非不感到窝火。
我想,的确我曾在某个场合讲过我在伊豆的别墅遭到过啄木鸟袭扰的事。我的房子被啄木鸟糟蹋得一塌糊涂,百孔千疮的,活像一块瑞士奶酪。要是不把洞堵上,蝙蝠会飞来栖息,别的鸟儿也回来筑巢。真没办法,我只好请木匠来堵洞,再请木匠重新油漆一遍。这栋别墅建成刚好已十年,这些修理也是必要的吧,我认了。粉刷后的油漆味儿也许会是啄木鸟避而远之吧。那么想着,我打算以此慰籍交款时的心情。
且说,整修完毕,脚手架也已拆去,木匠来讨工钱了。我把那天从银行刚取来的崭新的票子,在木匠的面前,尽可能拖延点时间,一、二、三就这么一张张数着,就在这时:“咚咚咚”我不由得停住了数钱的手,“那是什么在响?”这么问真是太傻气了,当然是啄木鸟,怎么前几天就销声匿迹了呢?本以为油漆味儿会使啄木鸟儿嫌恶而避开,这个想法真是太天真了。啄木鸟诗一种最最纠缠不休的鸟儿。
我不由得同木匠面面相觑。
“嘿、嘿、嘿”
当时木匠的那张复杂的笑脸,难以用笔墨形容。
我也笑了,带着一种复杂程度绝不逊色于木匠的尴尬表情笑的。看来讨债人与啄木鸟是串通一气的。
注:[借金とり」与「とり」谐音,因此作者诙谐地把他(它)们当作同类来看待的。
鬼故事[中日对照]
夜、何人かが交代で怪談を披露する。100本のろうそくをともし、ひとつの話が終わるごとに1本ずつ消していく。納涼の古い遊び、「百物語」である。
夜晚,好几个人轮流讲鬼故事。点上 100 支蜡烛,每结束一个故事就吹灭一支。这是纳凉时的古老游戏 “ 百物语 ” 。
森鴎外もこの催しに出かけたことがあり、短編「百物語」を書いている。「過ぎ去った世の遺物である」とあるところをみると、明治の末にはすでに廃れはじめていたらしい。
森鸥外也参加过这样的活动,他写了一篇短篇小说《百物语》。小说中有个地方说道, “ 这是逝去的世界的遗物 ” ,由此看来,这个古老游戏似乎在明治末期已经开始不再流行。
江戸時代から伝わる百物語には、最後のろうそくが消えると本物の妖怪が現れるという語り伝えがあった。文明開化とともにガス灯や電灯で夜が明るくなり、妖怪もなかなか出にくくなったのだろう
从江户时代传下来的百物语中,有个传言说,最后一支蜡烛熄灭后,真正的鬼怪就会出现。随着文明开化,夜晚在煤气灯和电灯照明下变得明亮,鬼怪也难以现形了吧。
台風が列島を抜けて、多くの地域に炎暑が戻った。温暖化を考えれば、冷房を効かせて眠るのも後ろめたいご時世である。ろうそくと闇からなる簡素な冷房装置は見直さ
れていい古人の知恵かも知れない。
台风穿过列岛,很多地区又恢复了酷热。这个时代里,一想到地球变暖,开着空调睡觉也会感到内疚。蜡烛和黑暗构成的简朴空调装置也许是可以重新评价的古人的一种智慧。
国文学者の池田弥三郎さんによれば、昔の人が怪談を語ったのは魑魅魍魎(ちみもうりょう)に聞かせるためであったという。この世には、お前たちよりもっと怖いものがいるのだぞ。怖いだろう、さあ、退散せよ … と
根据国文学者池田弥三郎所说,以前的人之所以讲鬼故事,是为了让魑魅魍魉听见。 “ 在这个世界上,还有比你们更可怕的东西存在呢。害怕了吧,那么就快离开吧 …… 。”
宙に浮いたり、消えたりするのは人魂(ひとだま)ばかりではない。この夏、「年金」ほど人々の背筋を冷たくさせた怪談はなかろう。社会保険庁職員による保険料の着服疑惑も浮上している。なるほど腐った役所とは怖いもの、「退散、退散」と魑魅魍魎が言う。
或漂浮在空中,或消失不见的并不只是人的灵魂。今年夏天,没有比 “ 养老金 ” 更让人脊梁发冷的鬼故事了吧。社会保险厅职员挪用保险金的怀疑也浮出水面。的确,腐败的市政所是很恐怖的东西, “ 离开、离开 ” ,魑魅魍魉说。
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